pale blue girlfriend

Kenji Kobayashi Official Photo Diary
大切な人との日々を写真に残したい。孤独と喪失の狭間で僕が見つけた、一筋の淡いヒカリ。
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「何故、ローライなの?」


 「何故、フィルムカメラで撮るの?」「何故、二眼レフを使うの?」という質問をよくいただく。
 ちょうど1年前に、「僕がフィルムカメラを使う理由」というタイトルでブログ記事を書いたことがあるのだが(カテゴリー「写真論」を参照のこと)、あの頃とは少し考え方が変わってきた気がするので、自分の中で再整理してみる。

 解像度、粒状性、発色、ラティチュード、コスト、利便性・・・よくあるカメラ雑誌の記事で、フィルムとデジタルを比較して、大抵の場合、「既にデジタルはフィルムを凌駕している」という結論で締めくくられる。実際、「画像を記録する」ことに特化して言えば、どう考えたってデジタルの方が優位だ。純然たるフィルムカメラユーザーの僕ですら、そう思っている。


 僕は、上記のような理由でフィルムカメラを選択しているわけではない。


 僕にとってのフィルムカメラは、被写体と向き合うためのツールのひとつだ。デジタルでは撮れない、なんてことはない。今は全く使っていないけどデジタルでも撮れる。だけどフィルムの方がより良く被写体と向き合うことができると思っているから、フィルムで撮る。自分にとってよりベターな方をチョイスした結果だ。

 人物を撮るとき、たとえば大判カメラで撮るのか、一眼レフで撮るのか、コンデジで撮るのか、使うカメラによって、それぞれに撮影の作法やリズムがある。使うカメラが変われば、被写体も撮影者も「気分」が変わるはずだ。気分が変われば、会話が変わり、表情が変わり、仕草も変わり、結果として写るものが変わる。僕が求めているのはそういうこと。被写体とより良く向き合い、より良いその場の雰囲気を作り出すためのツールとして、フィルムカメラが必要なのだ。

 だから、フィルム交換が面倒でも、パララックスがあろうとも、デジタルのように撮った画像をその場で確認できなくても、僕は二眼レフのウエストレベルファインダーと小さなシャッター音が大好きだ。1枚撮るごとにフィルムを巻き上げて12枚でフィルムを交換する、その撮影のリズムが大好きだ。不便さを補って余りあるほどの魅力が、そこにある。

 画質よりも、利便性よりも、僕は被写体と向き合うことを追求したい。カメラは、そのための手段のひとつでしかない。



 被写体と向き合うのはカメラではない。僕自身だ。



Date:2013/06/22
Rolleiflex 2.8E/FUJICOLOR PRO400H
Model:lisa
JUGEMテーマ:フィルムカメラ
Memories will never fade away



 僕にとって写真活動とは、「目的」そのものではなく、「手段」のひとつだと思っている。同様に、できあがった写真作品は「成果品」ではなく、「通過点」だと思う。

 あまり上手い言葉で説明ができないのだけど、
 僕にとって重要なのは、コバヤシケンジがコバヤシケンジという人間を全うして生きているかどうか、であって、そのための手段が、かつては音楽活動であり、今は写真活動である、ということ。
 結果として良い写真作品が撮れたかどうか、が重要なのではない。いや、重要ではない、というと嘘になるな。でもそれ以上に僕にとって重要なこと、大切なことがある。
 それは、写真活動をしながら、僕自身が何を考え、何を感じ、何を経験して、何を得て、何を失ったのか、ということ。すなわち、僕自身がどう生きたのか、ということだ。被写体さんと同じ時間・同じ経験を共有し、それぞれが感じたこと。これをきっと僕らは「思い出」と呼ぶ。写真とは、そんな連綿と続く「思い出」の中のある瞬間を切り取って形にしたもの、すなわち「通過点」なのだ。

 喩えて言うなら、
 去年の暮れの有馬記念を、僕がカメラ片手に観戦していたとしよう。そして、ゴールドシップが1着でゴールした瞬間を、その場で望遠レンズを使って撮影することができたとする。しかし僕にとって重要なのは、ゴールの瞬間を写真に収めることができたかどうか、ではなく、ゴールドシップが先頭でゴールを駆け抜けたその瞬間をこの目で確かめ、大歓声の中でその場にいた観衆と感動を分かち合うことができた、という、その体験こそが僕にとってのかけがえの無い「思い出」なのだ、ということ。
 伝わりにくい喩え話でゴメンナサイ。苦笑


 どの被写体さんとの、どの撮影も、全ての時間が僕にとっては大切な「思い出」だから。長々と書いたけれど、言いたかったのは、そういうこと。




Date:2013/01/03
Rolleiflex 2.8E FUJICOLOR PRO400H
JUGEMテーマ:ポートレート
僕がフィルムカメラを使う理由(その3)


 ここ最近、フィルム写真への自分の思い入ればかり語っているけど、これで完結するので、もう少しだけお付き合いいただきたい。。。
 僕がフィルムカメラを使う、その最大の理由は、


 写真をプリントして持っておく、ということの大切さに気づいたから。


 僕がそれに気づいたのは、去年の9月、東日本大震災の「被災地写真洗浄ボランティア」に参加したことが、きっかけだ。その時僕が感じたことは、別ブログにまとめてあるので、良かったら読んでみてほしい。




 「私たちは、津波で一切合財を失った。それでも、たった1枚の写真があるだけで、それが、明日を生きる力になる。」

 そう。写真とは、力だ。

 デジタルでしか残していない画像は、津波で流されたら、それで終わりだ。けれど、プリントした写真は、ボロボロでグチャグチャになっても、残る。
 洗浄を終えて、インクが溶け出しながらも、確かにそこに存在する写真。写真がプリントという形態をとることには、意味がある。写真をプリントして持っておくことには、意味がある。僕はその時初めて、それに気づいた。

 たとえば、動画、というツールがある。僕は、「作品として」動画にあまり魅力を感じないので、動画は撮らないことにしている。
 動画作品の内容を認識するためには、動画を再生する為の機器と、鑑賞するための時間が必要だ。それが無ければ、動画を動画として、作品として、認識することができない。
 だけど、写真は、プリントしてそこに存在するだけで、写真であり、作品である。僕はそこに、写真というものの魅力を感じてやまない。



 上の写真は、フィルムカメラを購入してわずか1週間にして、とある写真屋さんのフィルムカメラ撮影会に無謀にも参加した時の1枚。あの日あの時、参加メールを送信していなければ、二眼レフでポートレートを撮影する今の僕は、絶対になかった。

 ここでの出逢いが、全てのはじまりだったんだよ。ありがとう。



Date;2011/10/10
PENTAX MZ-3/Kodak ProFotoXL100
JUGEMテーマ:フィルムカメラ
僕がフィルムカメラを使う理由(その2)


 前回の続き。僕がフィルムカメラを使う理由の2つ目は、


 1コマ1コマに対する、気持ちの込め方の違い。


 なんか言葉にするとすごく陳腐だけれども、一応説明しよう。
 フィルムに対するデジタルの最大の優位は、撮影した写真をその場で確認できること、そして、メモリーカードの容量の許す限り、大量に撮影できること、にある。すなわち、失敗してもいくらでも撮り直しができる、ということ。まぁ、改めて言うまでもないけれども。
 実際、僕自身も、かつてデジタルで撮影していた頃は、わざわざ不便なフィルムカメラを使う理由なんて全く無いと思っていたし、自分は一生フィルムカメラを使うことはないだろうと思っていた。

 それが、ちょっとしたきっかけがあって初めてフィルムカメラを手にして、撮影散歩に出たときに、今までと全く異なる新鮮な感覚があったんだよね。フィルムカメラを持って、被写体を見つけて、ファインダーを覗いて、シャッターを切る、ただそれだけで、自分の感性が研ぎ澄まされていくような、そんな感覚。まぁ、オカルトみたいなものだと思う。笑 でも自分は確かにそう感じた。そしてそれから、フィルムでしか撮影しないようになった。

 シャッターを切る回数は、やはり圧倒的に減っていった。それと反比例するように、納得のいく写真が撮れる率は上がっていった。たとえば僕がデジタルで撮っていた頃、1回の撮影で500回くらいシャッターを切ったとして、こうしてネットにアップできるようなクオリティの写真は、良くてそのうちのせいぜい1割くらいだった。今、フィルムカメラで1回撮影に行くと、だいたい50〜100カットくらい撮影する。それで、調子の良い時なら6〜7割くらいは、人に見せられる写真が撮れる。そういうものなのだ。

 現像してプリントしたときに、大抵の場合、期待以上のプリントが仕上がってくることも、フィルム写真の醍醐味のひとつだと思う。フィルム写真の質感が大好きだから、というのはもちろんだが、撮影をして、その場で画像を確認できないという不安定さが、写真のできあがる喜びを倍増させているのだろう。

 適切な喩えではないかもしれないが、人生は1度きりで、やり直しがきなかい、だからみんな一生懸命に生きる。それと同じように、やり直しのきかないフィルムカメラで、1カット1カットに心を込めて、精神を集中して撮影するから、納得のいく写真が撮れる。
 僕はこの、フィルムカメラを持ったときの緊張感や感情の高ぶりが、大好きだ。その気持ちをいつも感じていたい、失いたくない、だから今日も、フィルムカメラで撮影をする。


 と、2つ目の理由を書いてきたけど、これもまた、フィルムカメラを使い始めた直接のきっかけではない。フィルムカメラを使い始めてから気づいたこと、だ。
 では、直接のきっかけは何なのか。

 続きは、次回の日記で。



 
Date;2012/06/10
PENTAX MZ-3/FUJICOLOR PRO160C
Model;Akiyo
僕がフィルムカメラを使う理由(その1)


 フィルムカメラを使い始めて、11ヶ月。実はまだ1年経っていない。
 僕がフィルムカメラを使う理由は、3つある。その1つ目。

 ネガフィルムとオールドレンズの組み合わせでしか、撮れない写真があると思っているから。

 特に僕が好きなのは、上の写真のような逆光、あるいは半逆光の状況で撮った時の、この独特の雰囲気。いわゆる「空気感」と呼ばれるもの。風になびく髪の1本1本までを繊細に描写し、白とびにも黒つぶれにも強い。ローライの写真だなぁと思う。この雰囲気はもう、最新のデジタルカメラでは出せない。どちらが優れている、という問題ではなく、単純に、僕が好きかどうか、それだけの問題。

 しかし、これらのフィルムならではの特徴というのは、僕自身は最近になってようやく実感できるようになったことで、そもそもフィルムカメラを使い始めたきっかけ、ではない。

 続きは、次回へ。



Date;2012/07/16
Rolleiflex2.8E/FUJICOLOR PRO400H
Model;Anri